死の宣告を受けた方が能望で完治し幸せに

 3年前に死の宣告を受けた、小学生の息子さんを持つ
お母さんが、能望の実践で奇跡が起きている投稿を
頂きましたので、紹介致します。

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 〇〇〇〇と申します。

いつも、助けていただき、本当にありがたく思っています。
私は3年前、肝臓が悪くなり死の宣告を受けました。

当時一緒にいた夫とその母親は、私がいなくなったら息子は
施設に入れると言い、入院さえさせてもらえなかったので、
小学生の息子とその家を逃げ出してきました。


ちょうどその頃、実母が亡くなり、実家が空き家になったので、
そこへ住み始めました。

交通が不便ですし、お金の余裕もなかったので、病院へ行く
こともなく、ひたすら農作業をしながら、能望を唱えていました。

1年ほどたって、やっと病院へ行けるようになって検査をし
てもらうと、肝臓が完治していたのです。

岩手県なので、震災の被害もありましたが、一人でコツコツと
サッシや壁など壊れたところを直しながら、
息子と2人、なんて幸せなんだと思える日々を送れるように
なっています。

鈴木様の教えに、いつも、助けていただいたおかげです。

ほんとうに、ありがとうございます。

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 メールありがとうございました。

 3年前は、死の宣告を受け、最悪の事態になり、頼るべく
実家のお母さんも他界され、どんなにか心細かったことか
その心情をお察し致します。

 この3年間は、息子さんを守るために、毎日、自分に出来る
精一杯のことをしてきたのですね。

 その上、震災の被害も被り、大変な経験をされました。

 それでも、現在は幸せな日々を送れるようになって、本当に
良かったですね。

 胎(はら)が据わっている!というのか、地に足がついている!
というのか、子を持つ母の無償の愛は強いですね。

 このメールを読んで、私達がいかに恵まれているか!!

 私達は、自分が出来ることの何分の1の努力もしていない
のではないか?

もっと、もっと、勇気を出して、何だって出来るのではないか?


 現代人の多くは、西洋かぶれの利己主義だらけで、
義務は何も果たさないで、要求だけは一人前! 
しっかり自分の権利は主張する。

 その点、このお母さんは、すがるものは能望だけですから、
純粋になって、無心になって、能望を唱えるので、自分の
すべてを委ねることになります。

 ですから、本当の「ノウボウ アキャシャ」になるのです。

 ノウボウとは、南無のサンスクリット語の原型ですから、
つまり、南無 虚空蔵=南無 大日如来=南無 宇宙と、言うこと
になります。

 南無とは、帰依する、自分のすべてを委ねる、命までも捧げる!
という意味です。

  南無 阿弥陀仏!とは、阿弥陀仏に帰依する、阿弥陀仏
自分のすべてを委ねる!ということです。

 ですから、宇宙と一体化が出来ることになるのです。


 このような無心の唱え方は・・・・。

 謙虚になり、献身ですから、すべてを捧げ、命まで捧げるのです。
そこには、当然、自分も、自我も、エゴもなくなるのです。

 現代人の自分が自分がと、自分がすべての利己主義とは
大いに違うのです。

 自分も、自我も、エゴもなくなればなくなるほど、マナ識の力も
弱くなり、本当の自分が、無限のパワーが出現するのです。

 自分も、自我も、エゴもなくなればなくなるほど、欲がなくなり、
望ましい現実が、そして、有り得ない奇跡が起きるのです。


 それにしても、恵めれている現代人は、あれも、これもと、
選択肢が多すぎます。

 ですから、いつまでも本質が見えてこないのです。

 何もかにも、さんざん試した挙句に、やっと本物にたどりつく
というシナリオだといいのですが・・・・。

 現代人は感謝が足りないために、多くの人は、一生涯のうちに
能望のような本質には巡り会えないのです。

 何回も生まれ変わっても、それこそ10回も生まれ変わってやっと
巡り会えるのです。

 義務的に能望を唱えても、能望の本質に触れていることには
なりません。

 本質に巡り会いたい人は、感謝を深めて、愛を深めて、自分を
無にして、自分を宇宙に委ねて能望を唱えてください。

 不治の病だって、学問だって、ビジネスだって、そして、大きな
プロジェクトだって、何だって有り得ない奇跡が起きるのです。


 素晴らしい、感動の投稿ありがとうございました。