魂が偉大であればあるほど試練が多い

 人間は、魂の向上のために、この世に生まれているため
なのか、この世に生まれる前に、試練や苦しさのプログラムを
インプットしていて、この世では、そのプログラムを定期的に
作動しているようなのです。

 生まれる前に、前世で、できなかったことを、今世に宿題と
して持ってくる!というのは一般的な考え方で容易に理解
できますが・・・。

 つまり、魂は、生前にあらかじめ、人生のシナリオを書くの
ですが、何事も順調に行くと魂の向上が見られないので、
ありとあらゆる困難を途中に入れるのです。

 まるで、小説やドラマのように、色々な試練が待ち構えて
いて、一難去ってまた一難!という状況になるのです。

 人生が、順風満帆に行く人がいないのも、この説は正し
いように思います。


 昔の偉い僧は「我に艱難辛苦」を与えたまえ!と願い、
そして、「願わくば、我に 七難八苦を与えたまえ!」と、
豪語した武将もいました。

 このレベルになると、人生を達観していますから、自分と
魂との関係や、魂の意図が分かっていたようにも思われます。

 このように、無意識の中に、生前の魂のメモリーの中に
インプットした、魂の向上のための試練のプログラムが
あるので、簡単に成功させてはくれないのです。

 順風満帆に成功したとしても、必ず落とし穴があります。


 本人の意識では気づかなくても、目に見えないブロックが
何重にも存在し、不幸になる状況、試練や苦しさ、そして、
尽きることのない悩みごと等、自分の魂の向上のために、
実に巧妙にプログラム化されているのです。

 何世代にも渡ってのプログラムもあり、あまりにも激しい
のは、自分の性格や習性に、普通の人とのかけ離れた違い
を感じる時に、魂の意図や自分が生まれた目的など察知する
時もあると思います。

 あなたの魂が偉大であればあるほど、高いハードルの
試練をプログラムしているようなのです。

 輪廻を卒業した魂は、さらなる次元の高みに行くのです
から、私達のこの世での価値観とはかなりギャップがある
ようなのです。

 若いときの苦労はお金を出してもしなさい!とか、獅子は、
我が子を千尋の崖に突き落とす!かわいい子には旅をさせ
なさい!

 という言葉もありますが、これらは、長年の言い伝えであり、
真理でもありますから、魂のプログラムとも関係していると
思います。

 しかしながら、人生は苦労の連続で終わってしまうことが、
あの世に行ったら、魂のレベルが向上して、充実した人生
だったのかも知れませんが・・・・。

 この世においても、プログラム通りの厳しい試練を乗り
越えなくても、魂のレベルを向上させることができます。

 
 それは、一連の魂のシナリオの試練に、気づくことで、
生前にインプットしたプログラムを修正することも可能に
なるのです。


 それが、能望の実践であり、この世にいながら、意識を
高次元にもって行けるスパイラルシートの実践なのです。

 「我に艱難辛苦」を与えたまえ!
「願わくば、我に 七難八苦を与えたまえ!」というのは、
陰陽の極に自分を追い込み、陰陽の逆転を期待していた
ようにも思われます。

 運命とは、命を運ぶことですから、人生の試練に気づいて
命を運ぶ源流に、この試練を意識で運び、陰陽を逆転させる
のです。

 最悪の事態の時は、その最悪の極が極まれば、最善に
なります。

 能望の実践も、スパイラルシートの実践も、その極が
極まれば、意識は高次元に行きますから、同じ原理に
なります。

 そして、臍下の一点に試練の意識を鎮めることを
常に意識するのです。
 
 試練の渦巻きの中にいる時は、苦しくて、ただつらい
だけで、失うことばかりで、何の得ることもないように思います。

 こんな辛い目を二度と経験したくない!と、思っても・・・。

 3年後、5年後、そして、10年後に振り返ってみると、それが、
貴重な体験だったり、懐かしい思い出だったり、

 あの試練がなかったら、今の自分の存在はない!というような、
その試練が人生のターニングポイントになることもあるのです。

 ですから、今の目の前にある困難は、自分の魂が書いた
プログラムで、自分が試されている試練である!と、気づくことです。

 そして、臍下の一点の奥にある『命の源流』に、その辛い
思いを鎮めるのです。


 ありがとうございました。

 弱者救済プロジェクト