能望と降龍で『本来の自己』に目覚める

 能望の体験の投稿を頂きましたので、紹介します。

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鈴木塾長

毎日、メルマガで大きな氣づきを配信して頂き、有難う御座います。 

昨日アフリカからメールを頂きました。

成功塾を通じて知り合いになった私のお友達(Kさん)からでした。

その方は戦禍の中でお仕事をしたり、日本では想像のつかない
アフリカの悲惨な場所でお仕事をしています。

昨日のメールは7月25日はマヤのカレンダーでは時間を超越する
日だったそうです。

その方はその日に能望を唱えると、とても効果があることを
2年前に発見したそうです。

そして、能望をほかの人の代わりに唱えると、その人の
意識レベルも上がり、自分の意識レベルも上がるという経験を
されています。

これは、塾長がメルマガで言われている人様のために唱える。
ということと同じであると思いました。

昨日、私もグループの方々の成功を祈りながら、いつも以上に
集中して能望を唱えました。

すると、唱えている中盤あたりから肩の力がぬけ、腕の感覚が
なくなるようになり、体の芯(第一チャクラから第七チャクラ)に
電流が走るような感覚が何度も訪れました。

この感覚は今まで長年、能望を唱えていますが初めての
感覚でした。

これが、塾長のいう「自分の体の中心の中心の中心」なの
かなと思いました。

唱え終えたあとは、有り難い気持ちがこみ上げてきて汗と
涙で思わず手を合わせて「有難う御座います。」
という言葉が出てきました。

Kさんの言われた効果が上がるというのはこのことなのかなと、
改めて能望のすごさを氣づかせて頂きました。

有難う御座いました。

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 投稿ありがとうございました。

>その方はその日に能望を唱えると、とても効果があることを
>2年前に発見したそうです。

〇そうですか、能望の発祥はムー大陸ということですから、
マヤ暦のあるマヤ文明も、日本と同じく、ムー大陸の太陽信仰が
起源になっていると考えられているので、何らかの関連があっても
不思議ではありません。


>そして、能望をほかの人の代わりに唱えると、その人の
>意識レベルも上がり、自分の意識レベルも上がるという経験を
>されています。

〇これも、宇宙の原理です。宇宙はすべてがすべてにつながって
いるので、人様のためにしていることが、つまり、これは人様に
与える行為なので、自分にも与えられるのです。


>すると、唱えている中盤あたりから肩の力がぬけ、腕の感覚が
>なくなるようになり、体の芯(第一チャクラから第七チャクラ)に
>電流が走るような感覚が何度も訪れました。

>この感覚は今まで長年、能望を唱えていますが初めての
>感覚でした。
 
〇この感覚と同じ内容が「パワーかフォースか」の33ページに、

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私の神経の状態が全体的にゆっくりと向上していくと、やがて
別の現象が始りました。

甘美なエネルギーの帯が背中の上方へと、そして脳の中へと
留めどなく流れ始めたのです。

それは、脳内に強烈な喜びの感覚を、耐え間なく引き起こしました。

人生におけるすべての出来事がシンクロ二シティ(共時性)として
起きて、完全たる調和へと発展してゆくのです。

世間で「奇跡」と呼ばれることも、ここでは普通のことでした。

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と、このように書かれています。


>これが、塾長のいう「自分の体の中心の中心の中心」なの
>かなと思いました。

〇自分の体の中心の中心の中心⇒⇒⇒には『命の源流』の
領域があり、ここからすべてのエネルギーが湧き出てきます。

 能望の実践と深い思いやりの無償の愛の感情が、この領域
に至ることができたのです。


 ここに至るには、降龍のミクロの命数でも可能です。

  六徳 ⇒ 虚空 ⇒ 清浄 ⇒ 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 『涅槃寂静
 りっとく ⇒   ⇒   ⇒  ⇒  ⇒  『ねはんじゃくじょう』 と、
意識を深めると『涅槃寂静』=『命の源流』=『宇宙の根源のパワー」
=無限のパワー・・・まで、至る事ができます。


>唱え終えたあとは、有り難い気持ちがこみ上げてきて汗と
>涙で思わず手を合わせて「有難う御座います。」
>という言葉が出てきました。

〇これは、感謝と歓喜の涙です。有り難くて、嬉しくて、
喜びが極まると、琴線に触れるので、涙かこみ上げてくる
のです。

 純粋で素直な感情、深い感謝、深い愛、至福の喜びなどの
感情は、この深い領域から生まれてくるものです。

  これらの感情で満たされている時は「内なるパワーが
みなぎっている」状態なのです。

 ですから、この感情を思い出すだけでも『命の源流』の領域に
至ることができ、「内なるパワーがみなぎっている」状態になり
どんなことでも可能になる!という思いになります。


>Kさんの言われた効果が上がるというのはこのことなのかなと、
>改めて能望のすごさを氣づかせて頂きました。

 〇そうですね。能望は、取り組めば取り組ほど、奥が深くなり、
計り知れないすごさがあります。

 アフリカの知人にもよろしくお伝え下さい。

 ありがとございました。


 最後に、降龍の実践での体験も頂いておりますので
紹介します。

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鈴木様

夜分遅くすみません。

今日降龍を行っていて、初めてお腹の奥底から強くて柔らかな
エネルギーが沸き上がってくるのを感じました。

今では、切れ切れにエネルギーが沸き上がってくることが
たまにあったのですが、この現象は初めてです。

いろいろ頭を抱える問題や課題があって、ブルーな日々が
続いてましたが、根拠はないのに爽やかな気持ちになりました。

しかも、視力が落ちて読めなかった小さい文字がはっきりと
隅々まで読めて驚きと、鈴木様が降龍で視力が回復すると
書いてましたので、時間はかなりかかりましたが、入り口に
近づいたかなと思ってます。

夜分失礼とは思いましたが、毎日少しでも続けてきて
良かったと嬉しくてメール致しました。

ありがとうございます。

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投稿、ありがとうございました。

>今日降龍を行っていて、初めてお腹の奥底から強くて柔らかな
>エネルギーが沸き上がってくるのを感じました。

〇これも、先ほどの説明にもありましたが、ミクロの命数で、
六徳 ⇒ 虚空 ⇒ 清浄 ⇒ 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 『涅槃寂静
と、『涅槃寂静』の領域に至ったのです。

 この領域に至るには、運の良い修行僧が数十年もかかり、
通常は、一生かかっても、このような体験はできません。

 ですから、私は、1日に500回も1000回も繰り返して、
夢中になって取り組みました。

 ミクロの命数も、とんでもなくすごいものなのです。

 初めての人は、内なるパワーの名前が、たくさんあるので、
混乱すると思いますが、『命の源流』も、『涅槃寂静』も
『宇宙の根源のパワー』も、自分の心奥の深い領域の
ことで、この領域の呼び方は、63種類以上もあります。

 この領域は内なる神の領域でもありますから、人類はいかに、
この領域にあこがれていたのかが分かります。

 そして、この領域は、『本来の自己』とも呼ばれています。

 仏教をはじめ東洋では、本当の自分に目覚める目的で、
この世に生まれてきてる!という説が有力ですから、
この領域に至るために、たくさんの名前がついているものと
思われます。

 私達は、本当の自分を知るために生まれてきたのです。

 ですから人類は、何千年も前から、本当の自分を発見する
ために、あらゆる方法や修行をして来ているのです

 歴史を振り返っても本当の自分を知ることが人生最大の
目的なのですから、色々な分野で様々な名前がついたので
しょう。

 そして、どんな人にも、一人の例外もなく、試練が与えられ
ています。

 それは、試練や壁が立ちはだかると、人は努力をしますが、
何度も何度も失敗して、自力では不可能だと思い知ると、
自己の内面に意識を向けるようになります。

 試練が厳しければ厳しいほど、自分の内面に意識を向ける
のです。

 『本来の自己』は、アラジンの魔法のランプの大魔神のように
無限のパワーを持っているので、どんな願いも叶えてくれるのです。

 東洋では、太古の昔からそのことを知っていたから、内なる神
を呼び起こすことが先決だったのです。

 そして、本当に満足できて、真に生きている証が立てられる
のは、本来の自己を発見し、本来の自己に目覚めたときなのです。


>しかも、視力が落ちて読めなかった小さい文字がはっきりと
>隅々まで読めて驚きと、鈴木様が降龍で視力が回復すると
>書いてましたので、時間はかなりかかりましたが、入り口に
>近づいたかなと思ってます。

〇この領域に至れば、視力ばかりか、病気も、悩み事も、夢や
願望も達成できるのです。

これも、「パワーかフォースか」に同じような内容が書かれて
います。
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 奇跡は日常の理解を超えて起きました。私を長年苦しめ
てきた多くの慢性病が消えていたのです。

 私の視力は自然と正常に戻り、人生のほとんどの間かけ続け
てきた遠近両用眼鏡は、もう必要ありませんでした。

過去も現在も未来も、知覚の産物であった。時間は幻想に
過ぎなかった。

 「私」という限定された自己(self)が、無限の宇宙の自己(Self)に
溶けたとき、完璧な平和の意識とともに、すべての苦しみから
解放されたあとの静寂さだけが残った。

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 ですから、この領域の入り口かも知れませんが、世の中には、
50年も60年もかけても、近づくこともできない修行僧もたくさん
いるのですから、降龍を極めて、世のため人のためにも
『本来の自己』に目覚めて下さいね。

 ありがとうございました。